言いたいことを短くまとめられない人のブログ

話も文章も、ついつい長くなってしまいます。

松任谷由実 LOVE WARS

ここ数年、ユーミンをメディアで見かける事がグッと増えた。時代毎にヒット曲があり、ユーミンを久々に聴いた、という印象はまるで無い。

 

しかし、amazon musicユーミンを聴きながら飲んでいる時、ANNIVERSARYを聴いて、懐かしさで悶絶した。

 

居ても立っても居られず、LOVE WARSを購入。道すがらカーステで聴きながら暗い道を運転していると、郷愁のようなもので涙が出て出た。

 

当時私は小学生。父にドライブに連れ出される事がよくあり、まだドライブに楽しみを見いだせなかった私は、父のウォークマンを借り、父の趣味であるビートルズ の曲を延々聴いていた。ある意味暇つぶしだ。

 

一方で、毎週末、父方の祖母の家に一家で通う日々で、祖母と同居している叔母の部屋に入り込む事が多かった。兄である父について回っていた叔母は、同じく音楽や映画が好きな事もあって、彼女の部屋は私にとって宝箱の様だった。洋楽一辺倒の父とは違い、日本のロックやポップスのレコードやカセットも沢山置いてあった。サザン、ユーミン、キャロル、矢沢永吉浜田省吾佐野元春バービーボーイズ…沢山のカセットを借りた。

 

小学生時代、一番聴いていたのが、洋楽ではビートルズストーンズ、日本のポップスだと、サザンとユーミンだった。ユーミンの中では、LOVE WARSを一番聴いていたと思う。表題曲も勿論だが、一曲目のVALENTINE'S RADIOは、最初の一音からワクワクした。ラジオにハマるのは、もう少し先だから、何も知らずに聴いていたけど、ラジオに感じるワクワクが、本当に良く描かれていると、今は思う。曲を聞いて、切なさで胸が苦しくなるような体験をしたのも、このアルバムが最初かもしれない。

 

そんな大事な事を、私はすっかり忘れていた。こんな大人びた曲を、小学生の頃に聴いていたのだなぁ。今の私からしても、到底手が届かない程大人な世界だ。ユーミンの曲の歌詞にあるような、素敵な女になるんだと思っていた。こんなドラマチックな恋を沢山するんだと思っていた。そんな事無かったなぁという失笑と、今からでも旦那と、ドラマチックは無理でも、多少情熱的に接してみても良いんじゃないかなぁという思いも湧いた。

 

ユーミンの世界は、現実をほんの少しドラマチックにしてくれる。心の余裕が無い時、エンタメに目が向かない時も当然あるけれど、振り返ると、いつでもドラマチックな世界に連れて行ってくれる。ユーミンはそんな存在なんだと思った。

愚痴は聞きたくないし面倒な人間関係は嫌だけど、愚痴は話したいし友達もほしい

ここのところの専らの悩みが、同僚の愚痴。

色々気づいてしまうからなのか、とにかく不満でいっぱい。

 

社会活動が少ないまま母になり専業主婦を続けてきた私は、今の職場に入職して、まず最初に「家庭の不満とか職場の不満とか、愚痴をワイワイ話すのが、職場の人間関係を円滑にまわす為の処世術なのだなぁ」と学習した。女性ばかりの職場だというのもあったかもしれない。

 

特に上司の愚痴は気安く話しやすい。同調したり、「こんなことあったんだよねー」と、私からもよく話していた。

 

しかし、ここ数年、それが苦痛になってきた。コロナで鬱屈した雰囲気も手伝い、楽しい話題がとにかく無く、愚痴しか出ない。

 

今、私を悩ませる同僚は、同じ部署で唯一の同僚。ネガティブな話題しか出ないし、楽しい話をしようもんなら、妬んだり僻んだりするタイプ。直接私の話をネガティブに取られた事はないが、他人の話を聞いて、「私はこんなに頑張って我慢もしているのに、なんで他の人ばかり」という言葉を聞いてから、楽しかった話は出来なくなった。一番ビックリしたのは、娘が友達と遊びに行く事が多いからと、「あいつばっかりズルイ」という言葉。もう、何も言えねぇ…

 

彼女の今や今までの境遇がそうさせるのも分かるし、吐き出していないと壊れてしまうのかもしれない、というのも分かる。しかし、それを聞かされる私は、どこに吐き出せばいいのか。そして、「それ自業自得じゃん」とは、死んでも言えない。

 

先日見た「マツコ会議」で、年齢的に不安や焦りがあり、申し訳ないと思いながらも、自分の為に周りに文句を話して聞いてもらっていると話していた。

 

それだ。彼女もマツコと同じ年。私だって年下ではあるけど、そんなに離れてもないので、気持ちは分かる。でも、私一人では抱えきれないし、正当な感じで話しているけど、それってただの悪口という事も多い。やんわりと「いや、そんなことないでしょ」程度に返すのが精一杯。折角知らずにいられた不条理な出来事を追体験させられて辛い。

 

近しい同僚の話を職場でする。それは、一番のタブーだと思っているので、誰にも言えない。正直、そんなに愚痴る位なら転職してくれればいいのにとすら思っているけど、彼女に後が無いのもわかるので、全く期待できない。かといって、人に期待せず自分が動けばいいのだけれど、私にだって後は無い。

 

彼女の愚痴を苦痛に思いながら、私も息を吸うように愚痴が出てしまう。彼女に限らず、周りは愚痴を言いがちだし、大体職場の雰囲気が不穏なのだから、仕方が無い所も多分にある。

 

愚痴ると相手の愚痴を誘ってしまうから、言いたくない。でも苦しくて苦しくて、ついたまに出てしまう。葛藤で苦しい。

 

思えば、専業主婦であった時や、前の職場では、愚痴よりも、楽しい事を話す事の方が、圧倒的に多かった。ネタのように愚痴っぽい事を話す時もあったけど、あくまでマイルドで、楽しかった事を聞いても話しても、共感できる人が周りには多かった気がする。

 

本来私は人を羨んだり妬んだしするタイプだし、あまり自分に自信が持てない子供でもあったけど、なぜか自己肯定感はそこまで低くはなかった気がする。楽観的で、何かがちょっと出来ただけで、過大な評価をしていた。何やかんやでうまくいくんだと思っていたし、専業主婦の頃は、結構何でもポジティブに捉えられた。自分の無力さに気づいていなかったからかもしれない。

 

旦那は今大変な職場で、よくまぁそんなに出てくるなという位職場の愚痴を話してくれる。昔は仕事の話なんかしなかったけど、私も働くようになって、話しやすくなったのかもしれない。そして、全く自分と関わりの無い人の話なので、ずうっと無責任に「大変だねぇ」と同調できるし、何の苦も無く聞ける。なので、私も同僚の話をすると、聞いてくれるし同調もしてくれるけど、男性の特徴なのか、どうすればいいかのアドバイズが時々入ったりして、「全くその場を見てもない人が思いつくような事は、とっくにやってんだよ」というツッコミを飲み込みながら、いつのまにかご高説を聞く羽目になるので、却ってストレスになる事もある。難しい。

 

地元から離れ、一番ママ友と活発に交流していた土地も離れ、今や全く友達が居なくなってしまった。私がストレス発散出来ないのは、職場とも家庭とも関わりの無い、無責任な馬鹿話をできる友達が居ないからだろうなと思う。今から友達作るの難しいなぁ。子供達も大きくなり、年に数回、旦那と飲みに行くのが一番の楽しみで、それだけを頼りに日々を生きている。家庭は今が一番落ち着いているし、仕事から帰れば、家族とワイワイしているし、自分の時間もある。趣味もあるといえばある。しかし、何か満たされないのは、やはり、仕事からも家庭からも離れた時間を過ごせないからかもしれない。友達、作りたいなぁ。堪え性が無いので、ちょっとでも思うところがあると、疎遠にしてしまうのだけれど…離れて住む友達は、学生時代から続いているけど、きっと、私が話しやすいと思っているのは、相手が私が気持ちよく話せるよう気を遣える寛容で頭が良い人なんだろうなぁと、ありがたく思っている。

 

山下達郎

 関ジャムで山下達郎の回(前半)を見た。達郎さんは音声のみなので、ほぼほぼ聞いたというのに近い。サンソンは中学生位から良く聞いているので、話し声は何も珍しくないはずなのに、やたらとアガった。

 

 昔、サンソンを聞いていて、氷のマニキュアがゾクゾクする程格好よくて、予約してCOZYを買った。アナログ版を。父の自慢のステレオセットを譲り受けたので、ついついCDではなくアナログ版にしてしまい、何だか通になったような自己満に浸った。

 

 調子に乗って、中古レコード屋で買ったのが、大滝詠一ロンバケと、山下達郎のGREATEST HITS!だった。GREATEST HITS!なのだから、グレイトな曲の連続であるのは当たり前なんだけど、とにかく圧倒された。何だこのグルーヴは。J-POPと洋楽がはっきりと分かれていた当時の私からしたら、こんな昔にこんなグルーヴィーな曲の数々が、既にあったのかと。

 

 子供の頃は、父の聞くビートルズストーンズなんかは置いといて、耳に入ってくる音楽といえば、TVから流れてくる歌謡曲だった。それが段々、ロックテイストが強くなったり、ブラックミュージック風になっていったり…というのが、私が経験した流れだった。なのに。ちょっと待って、こんな格好よくて、陳腐な言葉で言えば、本格的な曲が、ずっと昔に存在していたなんて!!

 

 山下達郎の存在を知ったのは、同世代では殆どそうであるように、クリスマスイブの大ヒットだった。なので、多重録音でハーモニーを奏でる人、というイメージだった。ラジオを聞いているうちに、オールディーズがたくさんかかるし、達郎さん自身の曲も色々流れるので、そのイメージは段々薄れていくけれど、やはりメロディアスなイメージは、割とずっとあり続けた。

 

 BOMBER、Funky Flushin'、SOLID SLIDER、そして、SPARKLE。衝撃だった。私は山下達郎を、日本の音楽を、全っっっ然知らなかったのだ。氷のマニキュアを聞いてアルバムを即買いしたのだから、全然辻褄が合うんだけど…いやだってこれ今じゃん!今ココなのかと思うじゃん!

 

 関ジャムで、SPARKLEが入っているアルバムFOR YOUは、トラック重視で、後でメロディをつけたと話されていた。音楽の仕組みに疎い私には、言葉では言い表せなかった衝撃の原因を、達郎さん本人の言葉で知ることになった。そうか…こだわり抜いた部分が、無知な私に、ダイレクトに響いたのか…24年振りに謎が解けた。胸熱。エモい。

 

 因みに、COZYリリース後のライブに行ったのだけど、もう、グルーヴの洪水にもみくちゃにされました…いきなりのSPARKLEの冒頭カッティングに、身体が震えました。

 

 若い頃、おじさん達が、昔の曲を全然色あせないよね、と言っているのを聞いて、そんなことは全くないと思っていたけど、山下達郎は全然色あせない。ちゃんと色あせないものがあった。当時、昔の山下達郎に、新鮮に感動したけど、あれから24年経っても、やっぱり新鮮に震える。